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伊丹勝長 いたみ かつなが

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊丹勝長 いたみ-かつなが

1603-1662 江戸時代前期の大名。
慶長8年生まれ。伊丹康勝(やすかつ)の長男。慶安3年勘定奉行となり,のち佐渡奉行をかねた。承応(じょうおう)2年遺領をつぎ,甲斐(かい)(山梨県)徳美(とくみ)藩主伊丹家2代となる。寛文2年3月27日駿河(するが)代官一色(いっしき)直正を取り調べ中,一色に殺された。60歳。通称は作十郎,蔵人。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

伊丹勝長

没年:寛文2.3.27(1662.5.15)
生年:慶長8(1603)
江戸時代前期の甲斐国徳美藩(山梨県塩山市)藩主。江戸生まれ。父は勘定奉行,佐渡奉行であった康勝。通称は作十郎,蔵人,播磨守に任ぜられる。寛永10(1633)年には多忙の父康勝にかわり甲府城番の実務に当たった。慶安3(1650)年父が隠居のあと勘定奉行となり,同時に佐渡奉行になった。承応2(1653)年遺領を継ぎ,2620石を弟岡部勝重に分与し,1万石を領した。明暦3(1657)年と万治1(1658)年に甲府城の普請を奉行した。寛文2(1662)年勘定奉行在任中,江戸の役宅で駿河代官一色直正を吟味中に直正に刺されて死亡した。

(小柴良介)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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