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伊丹親興 いたみ ちかおき

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊丹親興 いたみ-ちかおき

?-1574 戦国-織豊時代の武将。
はじめ細川晴元に属す。永禄(えいろく)11年(1568)織田信長にしたがい三好党を攻め,摂津伊丹(いたみ)(兵庫県)に所領3万石をあたえられる。のち信長と対立した足利義昭についたため,荒木村重に攻められ,天正(てんしょう)2年11月15日自刃(じじん)した。落城時に脱出し正親(まさちか)と称して黒田長政につかえ,関ケ原の戦いで戦死したとする説もある。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

伊丹親興

没年:天正2.11.15(1574.11.28)
生年:生年不詳
戦国時代の武将,摂津国国人で伊丹城(兵庫県伊丹市)城主。親永の子。管領細川晴元に属したが,天文10(1541)年9月,晴元の部将三好長慶に反して摂津国一庫城の塩川政年を救援。同14年晴元,長慶に協力して細川氏綱らと戦う。18年に長慶と敵対,翌年和睦した。永禄9(1566)年5月松永久秀に属して池田勝正を攻撃するが,同年9月久秀に背き足利義親(義栄)に下る。同11年織田信長,足利義昭が入京するとこれに下り,勝正,和田惟政と共に摂津3守護となったのは親興かもしくは一族の忠親と推定される。天正1(1573)年ごろから信長と対立し,翌2年11月,信長の命を受けた荒木村重の攻撃を受け一族共々滅亡した。

(森田恭二)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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