朝日日本歴史人物事典 「伊丹親興」の解説
伊丹親興
生年:生年不詳
戦国時代の武将,摂津国国人で伊丹城(兵庫県伊丹市)城主。親永の子。管領細川晴元に属したが,天文10(1541)年9月,晴元の部将三好長慶に反して摂津国一庫城の塩川政年を救援。同14年晴元,長慶に協力して細川氏綱らと戦う。18年に長慶と敵対,翌年和睦した。永禄9(1566)年5月松永久秀に属して池田勝正を攻撃するが,同年9月久秀に背き足利義親(義栄)に下る。同11年織田信長,足利義昭が入京するとこれに下り,勝正,和田惟政と共に摂津3守護となったのは親興かもしくは一族の忠親と推定される。天正1(1573)年ごろから信長と対立し,翌2年11月,信長の命を受けた荒木村重の攻撃を受け一族共々滅亡した。
(森田恭二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報