日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊保藩」の意味・わかりやすい解説
伊保藩
いほはん
江戸前期に三河(みかわ)国(愛知県)加茂(かも)郡に置かれた譜代(ふだい)小藩。1600年(慶長5)丹羽氏次(にわうじつぐ)が1万石で封ぜられて立藩。丹羽氏は上伊保村(豊田(とよた)市保見町)に陣屋を築き、城下町を造成。所領は上伊保村周辺の22か村。1638年(寛永15)、氏次の子氏信(うじのぶ)は1万石を加増されて美濃(みの)国(岐阜県)恵那(えな)郡岩村に転封し、所領は一時期幕府領となった。その後1681年(天和1)、陸奥(むつ)国(福島県)白河藩主本多(ほんだ)氏の分知家である浅川1万石の本多忠晴(ただはる)が1万石で入封してふたたび立藩され、上伊保村に陣屋を構えた。所領は三河国加茂・碧海(あおみ)両郡のうちで、丹羽氏時代と重複する所領は上伊保村など6か村のみである。本多忠晴は寺社奉行(ぶぎょう)在任中の1705年(宝永2)に遠江(とおとうみ)国(静岡県)と三河国碧海郡で5000石を加増され、さらに10年(宝永7)遠江国榛原(はいばら)郡相良(さがら)に転封し、廃藩となった。
[齋藤 純]