本多忠晴(読み)ほんだ ただはる

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠晴」の解説

本多忠晴 ほんだ-ただはる

1641-1715 江戸時代前期-中期大名
寛永18年生まれ。本多忠義(ただよし)の4男。寛文4年陸奥(むつ)浅川藩(福島県)藩主本多家2代となる。天和(てんな)元年三河(愛知県)伊保転封(てんぽう)。大番頭(おおばんがしら)をへて元禄(げんろく)15年奏者番兼寺社奉行。宝永7年遠江(とおとうみ)(静岡県)相良(さがら)藩主本多家初代。1万5000石。正徳(しょうとく)5年4月12日死去。75歳。通称は吉左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む