伊倉庄(読み)いくらのしよう

日本歴史地名大系 「伊倉庄」の解説

伊倉庄
いくらのしよう

もと伊倉別符・伊倉保といわれ、現玉名市南部の菊池川左岸一帯の丘陵部から低平地にいたる地域を占め、南方北方に分れる。「事蹟通考」は現玉名郡横島よこしま町・天水てんすい町にいたる地域を荘域に含めるが、本来の荘域はほぼ玉名市域に限定される。菊池川河口にあって、北岸の高瀬たかせ津に相対する要港丹倍にべ津を含む。宇佐八幡宮領で、伊倉別符として成立した。

鎌倉初期に成った八幡宇佐宮御神領大鏡(大分県到津文書)によると、宇佐宮領の伊倉別符は、玉名郡の郡司日置則利の相伝私領(開発私領であろう)を承保元年(一〇七四)に筑前講師永源が買得し大宰府・国衙の承認を得て領掌してきたが、康和五年(一一〇三)宇佐公順が手継公験をそえて譲得、さらに保安四年(一一二三)には宇佐大宮司公基が譲得し、その娘宇佐氏に伝えられ、嘉応元年(一一六九)大宮司公通が買得した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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