伊勢横内村(読み)いせよこうちむら

日本歴史地名大系 「伊勢横内村」の解説

伊勢横内村
いせよこうちむら

[現在地名]鶴岡市伊勢横内・日出町ひのでまち

集落は苗津なえづ村の南東あか川西岸にあって、鶴ヶ岡城下の南東に近接する。単に横内ともいわれた。北にある菅川原すがわら(菅河原)も当村の内。村名は伊勢皇大こうたい神宮を勧請したことによるといわれ(斎村誌)、鎮守八幡神社の境内社に皇大神社がある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ、高二一一石余。寛永元年庄内高辻帳では高五七五石余。正保郷帳では田四八七石余・畑五六石余、新田がある。慶安二年(一六四九)の家数四〇・人数二一九(「万聞書」斎村史料)弍郡詳記では五ツ五分五厘、家数四五。小名川原かわら下村しもむら舟形ふながたが記される。明治一〇年(一八七七)の戸数五一・社一・寺一、男一七一・女一六八、馬二三、舟八、物産は大豆・菜種・大根菜(斎村誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む