苗津村(読み)なえづむら

日本歴史地名大系 「苗津村」の解説

苗津村
なえづむら

[現在地名]鶴岡市苗津・苗津町・朝暘町ちようようまち日出町ひのでまち

あか川支流苗津川が北流して、鶴ヶ岡城下を貫流する内川と合流する地点の南にあり、南は八ッ興屋やっこうや村。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ、高二二八石余。寛永元年庄内高辻帳では高三一七石余。正保郷帳ではかわ村と合せて田四二〇石余・畑三六石余、新田があり、水損。慶安二年(一六四九)の家数一五・社二・寺一(「万聞書」斎村史料)弍郡詳記によれば高三〇〇石余、うち畑高八石余、免五ツ二分一厘、家数二一。城下に近接し、赤川・苗津川・内川に近い当村は、代々の庄内藩主が鷹・鴨などの狩を楽しむ猟場とされていたが(存耳録)、寛文六年(一六六六)に御鷹野場に指定され、鉄砲のみならずいかなる方法での鳥獣捕獲も禁止する禁断の地とされた(大泉紀年)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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