伊吹島村
いぶきじまむら
[現在地名]観音寺市伊吹町
中洲浦の西方海上約三里、燧灘のほぼ中央に浮ぶ島。東西七町・南北五町、周囲四一町三八間(面積約一・〇九平方キロ)。西方に属島の円上島(周囲一〇町)、大股島(周囲一〇町一〇間)、小股島(周囲二町二八間)がある。この三島は無人島(西讃府志)。島名の由来は、「弘化録」に「有異木浮海漂、霊光散徹、自海引揚之、島上古号異木島、後訛為伊吹島」とある。胆吹・気噴・井冨貴などと記した例もある。ナイフ形石器、縄文土器(黒土BII相当)の口縁部、弥生土器の高坏の脚部の一部片ほか、須恵器片が島の中央のゆるやかな台地状から採集されている。
建長八年(一二五六)八月二九日の柞田庄四至
示注文(続左丞抄)に「西限海面限、伊吹島」とみえ、山城石清水八幡宮の八幡祠官俗官并所司系図(石清水八幡宮記録)の寛継の項に「伊吹島領家、号讃岐」、継源・快源の項にも「伊吹島領家」と記されている(いずれも鎌倉時代の人物とみられる)。なお寛元四年(一二四六)北条時頼が藤左衛門尉家資に命じて、内海諸島の海上警備を任じた際、伊吹島、箱・三崎(現三豊郡詫間町)、余木崎(現同郡豊浜町)など五〇ヵ所に兵士を分置して守らせたという(三豊郡史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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