中国,殷王朝創始期の伝説的な賢臣。名は摯,阿衡あるいは保衡と号す。年70まで有莘氏の国で農耕に従事したが,有莘君の娘が殷の湯王の妃となると,料理番としてそれに従い,料理にたとえて湯王に政治を説き,宰相に任ぜられた。そののち湯王を助けて夏の桀王を討ち滅ぼし,殷王朝を開くのに力があった。湯王の死後,孫の太甲が位につくと暴虐であったので,伊尹は彼を桐宮に追放し,3年ののち,悔悟した太甲を再び都に迎えた。臣下として主君を押し込めたこと,奪ではないかと,後々議論となるところである(《孟子》尽心上篇など)。太甲の次の沃丁の8年に伊尹は100歳余りの高齢で死んだ。なお《竹書紀年》は,太甲を追放した伊尹はみずから帝位についたが,やがて太甲に殺されたという,別の系統の伝説を載せる。伊尹の名は殷墟出土の卜辞にも見え,先王たちと同様に霊威ある神格として祭祀を受けている。《尚書(書経)》商書,《史記》殷本紀を参照されたい。
執筆者:小南 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…そこでクワの老樹には狐仙(こせん)などの神が宿るという神樹信仰もあった。殷の湯王の宰相となった伊尹(いいん)は,もと有侁氏の女がクワを摘み,空桑の中から嬰児(えいじ)を得て,その王に献じたのが後の賢相伊尹になったという。有名な蚕馬の古伝説で,殺されたウマの皮が女子を巻きこんでクワの木にとまりカイコに化したというのも,クワが養蚕と密接な関係のあったことを示す。…
…神は異類を享(う)けず,他族の神話は,ここではただ河・嶽,すなわち山川の神として捨象されるのである。
[殷の神話]
殷が受容した洪水説話は,伊水の神伊尹(いいん)であった。伊尹はその母が大洪水を予知して逃れ,空桑(くうそう)に宿って伊尹を生んだという箱舟形式の説話をもつ。…
…料理が古代中国から士大夫の享楽であり,大事な教養と知識の一環を占めていたからであろう。殷の湯王の宰相伊尹(いいん)はもと庖宰(料理人)であったのを見いだされたものであり,また今日名料理の代名詞ともなっている易牙(えきが)は斉の桓公の料理人で,自分の子を蒸して君主の食に供してまで,その寵愛を得ようとしたことでも知られる。なお,〈肉食の人〉とは,このころの士大夫を指す言葉でのちのちまでこの意味で使われる。…
※「伊尹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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