中国,夏王朝の末帝。帝履癸と号す。殷の紂(ちゆう)王とならんで中国上古の悪王の代表とされる。夏王朝は桀の曾祖父孔甲のころから諸侯に対する統制力を失っていたが,桀が即位するに及んで,亡国の勢いを決定的なものとした。宮殿を豪奢にし,美女たちを集め,淫靡な音楽を好み,酒池肉林の遊びをなしたなどとその悪行が伝えられる。その配下にあった湯王は,徳を修め諸侯を心服させて勢力を養っていた。やがて湯王は兵を起こして桀をうち,これを鳴条(めいじよう)の野(や)に破ると,新しく商(殷)王朝を開いた。敗れた桀は長江(揚子江)流域の南巣(なんそう)の地に逃がれ,そこで死んだとされる。もちろんこうした事跡はみな伝説であって,その中から史実をひき出すことは困難である。湯王をいったんは夏台にとらえながら釈放したとか,悪妃の妹喜(ばつき)を溺愛したなどという物語は,そのまま殷の紂王の事跡と重複するもので,国を滅ぼす悪王という観念のもとに作り上げられた末王の像だといえよう。
執筆者:小南 一郎
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…その死後,子孫が位を継ぎ,最初の世襲王朝となった。第17代の履癸(桀王)は暴君で,諸侯が背き,殷の成湯大乙に滅ぼされた。殷の卜辞(甲骨文)のごとき文字史料が未発見で,その実在は未確認であるが,最近,河南省偃師県二里頭遺跡が発見され,その文化の性格をめぐり,夏の存在が強く主張されるにいたった。…
※「桀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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