伊差川村
いじやしちやむら
[現在地名]名護市
伊差川・
山田 羽地間切の南寄りに位置し、南西は名護間切大兼久村。イジャシチャまたはイザシキャとよぶ。故地の古島は古琉球期から近世にかけての遺跡で、小さな丘陵地に立地する。現在の集落は南の山麓の緩傾斜地から国道五八号沿いに広がる。村内を金川・喜知留川(キチュルガー)・深田川の小河川が流れ、沖積低地を造る。今帰仁間切運天(現今帰仁村)の百按司墓にある弘治一三年(一五〇〇)頃の木棺に、「えさしきやのあし」(伊差川の按司)の文字がみえる(南島風土記)。「おもろさうし」巻一七の八に「一 ゑさしかのみやに(伊差川の庭に)/又 かふすかみやに(我部祖河の庭に)」とあり、「琉球国由来記」には伊差川村と我部祖河村は一緒に祭祀を行うと記されている。絵図郷村帳に羽地間切「いさしきや村」、琉球国高究帳に同間切「いざしきや村」、「琉球国由来記」などでは伊指川村、乾隆二年帳では伊差川村と記される。前掲高究帳では高頭一一七石余、うち田一一六石余・畠一石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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