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伊東甲子太郎 いとう きねたろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊東甲子太郎 いとう-きねたろう

1835-1867 幕末の武士。
天保(てんぽう)6年生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)志筑(しづく)藩士鈴木忠明の長男。江戸に出,旗本伊東精一に北辰一刀流をまなび,その家督をつぐ。元治(げんじ)元年新選組にはいり参謀となったが,長州攻めをめぐって土方歳三(ひじかた-としぞう)らと対立して脱隊。大久保利通ら薩長の藩士に親近し,慶応3年11月18日近藤勇(いさみ)に謀殺された。33歳。名は武明。変名宇田兵衛。通称は「かしたろう」ともよむ。

伊東甲子太郎 いとう-かしたろう

いとう-きねたろう

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

伊東甲子太郎

没年:慶応3.11.18(1867.12.13)
生年:天保6(1835)
新選組参謀,のちに御陵衛士の首領。名は武明,通称大蔵,甲子太郎,摂津。変名は宇田兵衛。常陸志筑(茨城県新治郡)の鈴木忠明と母こよの長男。鈴木大蔵と称し,配下鈴木三樹三郎は実弟。小野圭次郎の『伯父伊東甲子太郎武明』によれば,江戸深川佐賀町の旗本伊東精一に北辰一刀流を学び,病死した師の遺言で伊東の跡目を継いだというが,小山松勝一郎著『清河八郎』の「玄武館出席大概」には道場持ち伊東誠一郎とあり,師とされた旗本のほうも「柳営補任」に,伊東誠一郎の名で慶応年間(1865~68)に生存の記録がある。師に関する記述の歯車は噛み合わない。元治1(1864)年新選組参謀となるが,近藤勇,土方歳三と思想的見解を異にして分離,山陵奉行戸田大和守忠至の配下となり,高台寺党の異名をとる。以後薩摩と連携して勤王運動に奔走。近藤,土方に疎まれ,七条油小路で斬殺。勤王専一の分離といいながら,身分は忠至配下の幕臣であるなど疑問が多い。<参考文献>小野圭次郎『新選組覚え書』

(釣洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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