朝日日本歴史人物事典 「伊沢政義」の解説
伊沢政義
生年:生年不詳
幕末の幕臣。天保10(1839)年浦賀奉行となり,次いで同13年長崎奉行に就任,出島貿易の整備を図るとともに,弘化1(1844)年オランダ国王の開国勧告書翰をめぐる折衝や,翌2年イギリス船長崎来航事件などを措置。嘉永6(1853)年ペリー来航後,浦賀奉行に再任。全権委員のひとりとして翌安政1(1854)年日米和親条約に調印。さらに同年下田奉行に転じ,日米和親条約付録(下田追加条約)に調印。また同年ロシア使節プチャーチンとの交渉にも全権委員として従事。翌2年普請奉行となる。3年大目付,さらに4年町奉行留守居を歴任,5年には大目付に再任されるとともに神奈川開港を前に取調掛として外国奉行を補佐。しかし晩年は政界から離れ,洒々落々と余生を送ったと伝えられる。<参考文献>「幕府名士小伝」(『旧幕府』1巻2号)
(岩壁義光)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報