朝日日本歴史人物事典 「伊牟田尚平」の解説
伊牟田尚平
生年:天保3.5.25(1832.6.23)
幕末の薩摩(鹿児島)藩士,尊攘派の志士。薩摩藩の門閥で喜入郷領主肝付氏の家臣伊牟田倉左衛門の子。鹿児島さらに長崎で蘭学を,江戸で儒学を学ぶ。安政4(1857)年脱藩,謹慎。万延1(1860)年藩老関山糺に従い江戸へ,同年12月米国公使館通弁官ヒュースケンを暗殺,藩庁へ尊王攘夷の実践を建議,捕らえられて鬼界ケ島に流刑となる。元治1(1864)年許され上洛,慶応3(1867)年西郷隆盛の指示により江戸へ,同藩邸に浪士を集め益満休之助と市中の攪乱工作を指揮。藩邸が焼打ちにあい藩船翔鳳丸によって脱走,上洛。折から洛中に辻切,強盗事件が頻発し,これが配下の行為とみられ責任を追及されて自刃した。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報