伊美中村(読み)いみなかむら

日本歴史地名大系 「伊美中村」の解説

伊美中村
いみなかむら

[現在地名]国見町中(なか)

新涯(しんがい)村の北、伊美川流域に位置し、西は櫛海(くしのみ)村、東は櫛来(くしく)村。中世には伊美庄のうちで推移。単に中村ともいい、また東・西の二村として扱われる場合もあった。小倉藩元和人畜改帳では東中村は黒坂宗庵知行で、高二一二石余、家数四一、うち百姓本屋一五、隠居・庭屋・牛屋・名子ともに二六。人数六七、うち百姓一五・名子四、牛一三・馬二。西中村は細川忠隆領分とあり、高三〇〇石、家数四〇、うち百姓本屋一六、隠居・庭屋・牛屋・名子ともに二四。人数七九、うち百姓一六・名子六、牛一七・馬二。正保郷帳では伊美庄に属し、田高三三二石余・畑高九一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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