伊良部村
いらうむら
[現在地名]伊良部町伊良部
伊良部島の南西部に位置し、北は仲地村に接する。村域は西の下地島の一部を含む。イラヴとも。当地の祭祀は比屋地御嶽より勧請した伊良部中取御嶽や、乗瀬御嶽を中心に行われている(平良市史)。雍正旧記にはほかに長山御嶽(のちの池間添村域)・石泊御嶽の由来が記されるが、石泊御嶽は祭神を「中勢大との」といい、昔白髪の老人がわれは礒の神であると現れたことから御嶽として祀られたという。
両島絵図帳には伊良部村の前身と思われる「くがい村」の名が記され、高一一二石余で、この村は今はないと注記される。宮古島記事によれば昔年野崎という村があり、今の伊良部島久貝村の管轄であったが、人居繁栄して二ヵ村となり、伊良部島には首里大屋子・目差が召し立てられ、野崎は久貝村と称して与人・目差が立てられたという。伊良部首里大屋子の初見は康熙二六年(一六八七)の真世氏二世平秀で(真世氏家譜)、伊良部島が二ヵ村になったのは同二五年の佐和田村の村立てからである。宮古島記事はこの村分けを説明したものと推定され、同年久貝村は伊良部と改称したと考えられる。伊良部島を出自とする伊安氏の正統家譜には、二世方続が豊見久貝親、三世方栄は久貝与人、五世方至は嘉靖年間(一五二二―六六)に伊良部文子と記されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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