朝日日本歴史人物事典 「伊藤参行」の解説
伊藤参行
生年:延享3(1746)
江戸中・後期の富士講2代目教主。本名花形浪江,参行六王ともいう。明和3(1766)年,食行身禄の3女で初代教主の一行花に弟子入りし「養子」として同居,教えを受ける。のち別れ,彫金を家業とするかたわら,『おふりかはりの巻』『四民の巻』『ゑぼし山御伝解』などを執筆。これらの書では,人間の誕生を陰陽の和合の結果とし,陰=女の力が衰えるのを防ぐため,「男網女網をつなぎ替え」て,女性を尊重するという,身禄の教えを祖述する。また花を「花の咲く菩薩」,身禄を「実に結ぶ菩薩」とし,男女の役割を稲の実りにたとえ,この父娘を各常人二人前と理想化した。<参考文献>岩科小一郎『富士講の歴史』
(浅野美和子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報