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富士講 ふじこう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

富士講
ふじこう

富士山を崇拝する人々によって組織された講社。浅間講ともいう。富士山へ登拝し修行することを目的とする。講員は先達,行者に統率され,白衣を着て鈴を振り,『般若心経』などを誦しつつ登山し,祈願する。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

富士講

江戸時代中期、富士山を信仰する農民や商人らで組織された。長谷川角行が現在の静岡県富士宮市周辺で修行して開いたとされ、修行の場「人穴富士講遺跡」は富士山と共に世界文化遺産に登録された。白装束にすげ笠を身にまとい、金剛杖を携えるのが正装とされる。

(2014-08-04 朝日新聞 朝刊 名古屋 1地方)

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デジタル大辞泉の解説

ふじ‐こう【富士講】

富士山を信仰する農民・職人・商人で組織された講社。富士山登拝を行う。浅間講(せんげんこう)ともいい、江戸時代後半に盛行。明治以後は扶桑教実行教などとなった。 夏》富士塚

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百科事典マイペディアの解説

富士講【ふじこう】

富士を霊山として登拝する信仰組織。江戸初期に長谷川角行(かくぎょう),中期に食行身禄(じきぎょうみろく),村上光清が布教。浅間(せんげん)信仰と結び江戸八百八講と称するほど発展,深川,駒込などに模造富士もできた。
→関連項目富士山六根清浄

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世界大百科事典 第2版の解説

ふじこう【富士講】

富士山の信仰集団で,江戸時代半ばに,江戸とその周辺農村部に組織化された。伝説上の富士講の開祖は,角行(かくぎよう)といい,富士の人穴(ひとあな)で修行した修験の一人であったらしい。角行の弟子の行者たちが,江戸に出てきて布教した段階では,まだ未組織で,もっぱら祈禱中心の信仰活動であった。しかし6代目行者身禄(みろく)が出現するに及んで,富士講に大きな変化が生じた。身禄は,ミロクと訓じ,弥勒菩薩を予想させている。

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大辞林 第三版の解説

ふじこう【富士講】

江戸中期に主に町人層に広まった、富士山信仰を中心とする教団。修験道・弥勒みろく信仰を習合するが、神道系の教義を説く。講を組んで富士登山を行なったり、市中に築いた富士塚に参詣した。 [季] 夏。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

富士講
ふじこう

富士山信仰の講社。富士山を遠く仰ぎ見て宗教的な感慨を抱くことは、古くからあったに違いないが、中世には修験道(しゅげんどう)を中心に、関東・東海地方に富士信仰が形成されていた。近世初期に長谷川角行(はせがわかくぎょう)が教義を整え、その布教のために信徒組織をつくった。富士山登拝と寄進がおもな目的である。その後、食行身禄(じきぎょうみろく)が講社の発展を図り、江戸を中心に町人や農民に広く呼びかけた。先達(せんだつ)が霊験(れいげん)を説いて信徒を集め、先達に引率されて富士山に登拝するものである。講中の者は登拝に先だって3日または7日の精進潔斎ののち、白衣を着て鈴と金剛杖(こんごうづえ)を持ち、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)お山は晴天」などと唱えながら、行者(ぎょうじゃ)として修行のために富士山に集団登拝する。実際に登山できない人のためには、村内に富士塚などの遙拝(ようはい)所を設けた。関東にはいまも、富士山をかたどった富士塚や、登拝記念の石塔が数多くあり、地名に残ったものが多い。江戸時代には江戸八百八講といわれるほどに栄え、教派は身禄派と光清(こうせい)派に分かれたが、身禄派が優勢になった。江戸時代の末には幕府の弾圧を受けた。明治以後は教派神道として再生し、扶桑(ふそう)教、実行教、丸山教、富士教の諸派に分かれた。1923年(大正12)の関東大震災以後、東京の講社は激減した。現代は個人で登る人もあり、女性も登るが、昔ながらの服装の人もある。[井之口章次]
『岩科小一郎著『富士講の歴史――江戸庶民の山岳信仰』(1983・名著出版)』

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世界大百科事典内の富士講の言及

【浅間信仰】より

…中世には女人禁制の観念が発達したので,道者は男性に限定され,浅間神社信仰は男性中心に続いてきた。江戸時代中期ころより富士講信者に女性が増え,富士講は御師の一部と結びついて広く信者を集めたので,女性登山者が,他の山岳に比して多くいることも知られている。このほか,長野県浅間山や三重県朝熊(あさま)山などの各地域社と結びついた浅間信仰もあり,富士浅間とは異なる歴史をもっている。…

【富士山】より

… 《更級(さらしな)日記》には山頂に神々が集まり,人の運命を決した話があるが,中世以来,この山を崇敬する風が東日本に広まり,近世に盛行した。富士行者に引率される信者組織の富士講が各地に結成され,神霊を分祀(ぶんし)する浅間塚,富士塚がつくられた。その中心は富士山麓の大宮,村山,河口,吉田,須走の浅間(せんげん)神社で,それぞれに御師(おし)がおり,信者の富士登拝の先達をした。…

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