小谷三志(読み)おだにさんし

精選版 日本国語大辞典 「小谷三志」の意味・読み・例文・類語

おだに‐さんし【小谷三志】

  1. 江戸後期の神道家。富士講の第八世を名乗り、新たに不二道をたてる。名は庄兵衛。早起き祖先の恩に報いる道としてすすめ、信者約五万人を集めた。明和二~天保一二年(一七六五‐一八四一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小谷三志」の意味・わかりやすい解説

小谷三志
こたにさんし
(1765―1841)

江戸後期の民衆宗教富士講の改革指導者、不二道(ふじどう)の開祖通称河内屋庄兵衛、不二行者名禄行三志。日光御成道(おなりみち)鳩ヶ谷宿(現、埼玉県川口市)の商家に生れる。1809年(文化6)参行禄王(さんぎょうろくおう)に師事、同年富士講元祖食行身禄(じきぎょうみろく)の教統を継承する。万有への報恩を説き、家業精励、孝行、社会への労力報仕を勧めた。その結社不二道は関東、甲信、東海、畿内(きない)、山陽、九州に広まり、教えを慕う者5万とも10万ともいわれた。不二道は明治維新後、神道実行教と不二道孝心講に分かれ、信仰と運動を継続した。川口市桜町の居宅跡は県指定旧跡、関係資料(198点)は県指定文化財。

岡田 博]

『渡辺金造著『鳩ヶ谷三志』(1942・文進社)』『鳩ヶ谷市文化財保護委員会編『鳩ヶ谷市の古文書7~18』(1982~1993)』『岡田博編著『まるはと叢書1~7』(1991~1998・小谷三志翁顕彰会)』

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朝日日本歴史人物事典 「小谷三志」の解説

小谷三志

没年:天保12.9.17(1841.10.31)
生年:明和2.12.25(1766.2.4)
江戸後期の不二道の開祖。「こたに」ともいう。武蔵鳩ケ谷(埼玉県)生まれ。本名小谷庄兵衛。文化6(1809)年江戸に出て,富士講2代目教主の伊藤参行に入門,禄行三志の行名をもらう。三志は富士講身禄派の祖食行身禄の教説を日常的な倫理観に高め,天保9(1838)年に,それを「不二道」と称し,京に上り公家や文人と交際してその公認を目指した。富士講の男女平等思想をさらに徹底し,日常生活の服装,労働,性交渉などにおける男女の役割を逆転,「おんながだんなにな」るのを「みろくのみ世」として理想とした。高山たつを伴って,禁制の女人富士登頂を強行した。また,信者の社会事業への労力奉仕も勧め多数の信者を得た。<参考文献>岩科小一郎『富士講の研究』,宮田登『神の民俗誌』

(浅野美和子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小谷三志」の解説

小谷三志 こたに-さんし

1766*-1841 江戸時代後期の行者。
明和2年12月25日生まれ。富士講の一派,不二(ふじ)道の祖。身禄派2代目伊藤参行(さんぎょう)にまなぶ。従来の加持祈祷(かじきとう)の富士講を批判し,実践道徳を中心に社会奉仕などをおもんじる「二つとない道」不二道をとなえた。天保(てんぽう)12年9月17日死去。77歳。武蔵(むさし)鳩ケ谷(埼玉県)出身。通称は庄兵衛。行名は禄行。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小谷三志」の意味・わかりやすい解説

小谷三志
おたにさんし

[生]明和2(1765).武蔵
[没]天保12(1841)
江戸時代後期の神道家。名は庄兵衛,道号は禄行。富士講第8代教主で講の中興者。布教に努め道徳的実利的な教えにより庶民の間に多くの信者を得た。

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367日誕生日大事典 「小谷三志」の解説

小谷三志 (こだにさんし)

生年月日:1765年12月25日
江戸時代中期;後期の不二道の開祖
1841年没

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