伎人郷(読み)くれひとごう

日本歴史地名大系 「伎人郷」の解説

伎人郷
くれひとごう

和名抄」にはない。「万葉集」巻二〇の一首の題詞に、天平勝宝八年(七五六)二月に聖武天皇と光明皇后河内離宮から難波なにわ(現東区)に行幸したが、三月七日に河内国伎人郷の当時散位寮散位であった馬史国人の家で宴したとある。これによってこの時期に伎人郷があり河内国に属したことが知られる。伎人郷の郷域は明らかではないが、「日本書紀」雄略天皇一四年正月条の、呉からの使や才伎らの住吉すみのえ(現住吉区の住吉大社付近)への到着に関連して造られた磯歯津しはつ(のちの八尾街道)呉坂くれさかと名づけられたとあることから、「くれ」が訛って「きれ」になったとされ、現大阪市平野区の喜連きれを称する地域に比定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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