日本歴史地名大系 「八尾街道」の解説 八尾街道やおかいどう 大阪府:総論八尾街道和泉堺または摂津住吉からほぼ東進し平野郷(ひらのごう)町(現平野区)に至り、八尾(現八尾市)を経由して生駒山地を越える東西方向の道。この道路がいつ設けられたのか明らかではないが、寛文一二年(一六七二)の河内国絵図(三田家蔵)、寛延元年(一七四八)の摂津国名所大絵図などに図示されている。それによると大坂から堺に向かう紀州街道と住吉(すみよし)村(現住吉区)で分れ、寺岡(てらおか)村・堀(ほり)村(現同上)、鷹合(たかあい)村(現東住吉区)から中野(なかの)村(現同上)を経て平野郷町に入り、次いで河内国渋川郡の鞍作(くらつくり)村(現平野区)、久宝寺(きゆうほうじ)村(現八尾市)を通り、長瀬(ながせ)川(大和川の本流)を越えて八尾に入るというルートである。この道はさらに東に進んで玉串(たまくし)川を越え、高安郡の万願寺(まんがんじ)村・服部川(はつとりがわ)村(現八尾市)から生駒山地の立石(たていし)越にて大和国に入る。大坂の天王寺(てんのうじ)(現天王寺区)から平野川・長瀬川・大和川に沿って大和に向かう奈良街道とは平野郷町で交差し、生駒山麓を南下する東高野街道とは万願寺村東方で交わる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by