南河内(読み)みなみかわち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南河内」の意味・わかりやすい解説

南河内
みなみかわち

栃木県南部河内郡にあった旧町名(南河内町(まち))。現在は下野市(しもつけし)の東南部を占める地域。旧南河内町は1971年(昭和46)町制施行。2006年(平成18)下都賀(しもつが)郡石橋町(いしばしまち)、国分寺町(こくぶんじまち)と合併して市制施行、下野市となった。町の西端をJR東北本線(宇都宮線)、国道4号が並行して南北に通じ、中央部を新国道4号が縦貫する交通の要地である。鬼怒(きぬ)川の西岸低地と田川沿岸の低地と台地からなる。農業を主とし、かんぴょう干瓢)の特産があり、農家の副業に結城紬(ゆうきつむぎ)がつくられる。1972年東北本線の東側に私立自治医科大学開校、1974年に付属病院が開院され医療センターとして発展し、「グリーンタウンしもつけ」など住宅団地が造成され、宅地化も進んでいる。1983年には東北本線自治医大駅が新設された。薬師寺地区の北部にある下野薬師寺跡(しもつけやくしじあと)(国指定史跡)は、奈良時代に道鏡が左遷された寺として知られる。

[村上雅康]

『『南河内町史』全9冊(1990~1998・南河内町)』

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百科事典マイペディア 「南河内」の意味・わかりやすい解説

南河内[町]【みなみかわち】

栃木県南部,河内郡の旧町。鬼怒(きぬ)川中流の右岸に位置する。米作のほか,かんぴょう,ホウレンソウの生産が盛ん。都市化が進み,人口増加が著しい。北部の薬師寺には自治医科大学があり,周辺に大規模な住宅団地が造成された。2006年1月,下都賀郡石橋町,国分寺町と合併し市制,下野市となる。31.35km2。2万1181人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南河内」の意味・わかりやすい解説

南河内
みなみかわち

栃木県南部,下野市南東部の旧町域。下野平野の南部にある。 1955年薬師寺村と吉田村が合体して南河内村となり,1971年町制。 2006年石橋町,国分寺町と合体して下野市となった。全域が平野にあり,米作,畜産が産業の中心。北部に奈良時代建立の下野薬師寺跡 (国の史跡) ,西部に自治医科大学,南部に工業団地がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「南河内」の意味・わかりやすい解説

南河内 (みなみかわち)

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