日本歴史地名大系 「伏石村」の解説 伏石村ふせいしむら 香川県:高松市旧香川郡地区伏石村[現在地名]高松市伏石町今里(いまざと)村の南、松縄(まつなわ)村の西にあり、御坊(ごぼう)川中流域東側に位置する。地名の由来は、慶長年間(一五九六―一六一五)太田(おおた)村の郷士寺島八兵衛が夜ごとに光る奇石をみつけ、東三〇〇歩ばかりに立石、その西に伏石・居石があり、皆神石なので社を建てて祀れとの神示を受けた。村人は三社を建て産土神としたと伝える。戦国時代香西氏の武将佐藤孫七郎が佐藤(さとう)城に拠った。天正一〇年(一五八二)長宗我部勢に対し、香西氏の先鋒として兵五〇〇を率いて戦い、西光寺前合戦で討死した(南海通記)。 伏石村ぶくいしむら 福井県:大野市伏石村[現在地名]大野市伏石旅塚(たびづか)川扇状地の北端に接し、経(きよう)ヶ岳から流れ出た泥流堆積地の南端に位置する。西は森本(もりもと)村を経て勝山城下へ、南は柿(かき)ヶ島(しま)の渡を経て大野城下へ通じる。中世平泉(へいせん)寺(跡地は現勝山市)に関係すると伝える小字坊(ぼう)ヶ市(いち)は、すでに天文八年(一五三九)一〇月一八日の平泉寺賢聖院々領所々目録(平泉寺文書)に「坂谷村分」として名がみえる。村の東にあって、「往昔親鸞上人居住の跡」(越前地理指南)と伝え、豊かな秣場であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by