日本歴史地名大系 「勝山城下」の解説
勝山城下
かつやまじようか
慶長一一年頃の越前国絵図は勝山町を「北袋」と記しており、正保郷帳は「勝山町」と記し、貞享二年(一六八五)奥山絵図(勝山市教育委員会蔵)には勝山三町の庄屋・長百姓の記載があるので、少なくともこの頃までに町の自治体制も確立されていたと思われる。元禄四年(一六九一)小笠原氏の入封によって、新たに城地の南側に町方から没収した二町二反一畝五歩の土地に家中(武家屋敷地)が定められた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報