朝日日本歴史人物事典 「会田吾山」の解説
会田吾山
生年:享保2(1717)
江戸中期の俳人。会田氏,のち越谷氏。名は秀真。通称は文之助。別号は古馗庵,師竹庵,涼華房。はじめ佐久間柳居に師事し,のち白井鳥酔に従う。明和1(1764)年から宗匠生活に入り,点者ともなった。安永ごろから『東海藻』と題する歳旦帖を毎年刊行しており,著述は多い。方言辞典の『物類称呼』(1775),詞寄の『翌檜』(1779),さらには芭蕉発句の注釈書『朱紫』(1784)も刊行。多彩な活動を示した。滝沢羅文・馬琴兄弟の師でもあった。<参考文献>志田義秀『越谷吾山』
(楠元六男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報