会賀牧・福地牧(読み)えがのまき・ふくちのまき

日本歴史地名大系 「会賀牧・福地牧」の解説

会賀牧・福地牧
えがのまき・ふくちのまき

会賀牧は古くに餌香えが川とよばれた石川の下流左岸の現藤井寺市から、現羽曳野はびきの市北部、現松原市東部にかけての地域にあったと推測されるが、確かな所在地は不明。福地牧は会賀牧に近接してあったと考えられているが、これも所在地は明らかにしがたい。両牧とも「範国記」長元九年(一〇三六)一二月二二日条に、後一条天皇の死によって処分された後院領としてみえる。次いで「中右記」永久二年(一一一四)三月三日条に、和泉守の侍を殺害した容疑者二人が福地御牧で捕らえられ、検非違使庁で尋問されたことが報じられており、また同年九月一一日条にも、俊義入道同類宅主交名に「福地御牧并榎並庄」を往反する者が記されている。

仁平二年(一一五二)と推定される七月六日の右少弁藤原資長書状(興福寺本信円筆因明四相違裏文書)に、野宮雑事について「会賀・福地以下皆悉令勤仕」とみえ、同年八月二六日の河内国司下文案(醍醐雑事記)によれば、会賀・福地両牧の住人が志紀郡内山城醍醐寺領田畑を請作しながら、御牧(後院領)権威をかさにきて年貢を未進したと訴えられている。文治二年(一一八六)四月八日の醍醐寺文書目録(醍醐雑事記)にも「郡庄御佃兼次所進券文四通内 (中略)一枚福地御牧外題 長寛二年八月五日」とみえるので、牧住人と醍醐寺の係争は度々起こっていたようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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