但馬江
たじまえ
外山の北、蛇の川内の沢水を水源として、南西へ上川茂・下川茂、下黒山(現真野町)、滝平・大崎・村山(現羽茂町)まで約二〇キロに及ぶ水路。江戸初期、相川一の鉱坑割間歩の山主であった味方但馬が、小木(現小木町)の岬地域の海岸段丘上の開田を計画して引いた用水路と伝える。当江が目的の小木まで引けなかったのは、最もよい水源である外山の地獄沢で大岩盤にあたり、油一千樽を注いで岩を焼いても崩せなかったためとか、村山の平坦地を越える方法がなかったためともいう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 