日本歴史地名大系 「位田城跡」の解説 位田城跡いでんじようあと 京都府:綾部市位田村位田城跡[現在地名]綾部市位田町位田の中央の山を高城(たかしろ)(二一二メートル)といい、西方の低い尾根を低城(ひくしろ)あるいは古城(ふるしろ)という。いずれも山城跡で、室町時代の位田晴長の拠る所と伝える(何鹿郡町村誌)。低城の西方の小谷を隔てた丘陵端の氏政(うじまさ)神社境内一帯には大規模な土塁が残る。楞厳寺縁起(楞厳寺文書)は延徳元年(一四八九)より二年にかけて位田城攻防戦のあったことを次のように記す。<資料は省略されています>この戦乱について「蔭涼軒日録」の延徳二年六月二七日条には「物部豊前守為討丹波牢人下国云云」と記し、同年七月三日条では<資料は省略されています>とあり、さらに同年八月二五日条に<資料は省略されています>と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報