位田村(読み)いんでむら

日本歴史地名大系 「位田村」の解説

位田村
いんでむら

[現在地名]五個荘町竜田たつた

小幡おばた村の西にあり、北はきたしよう村。南西部を中山道が南西から北東に走り、集落は同道およびこれと交差し西の金堂こんどう村に向かう道に沿って街村のかたちをとる。村名は律令時代五位以上の官人に支給された位田にちなむと思われ(神崎郡志稿)、小字にも位田と称する一町余の地がある。元久元年(一二〇四)四月二三日の九条兼実置文(九条家文書)に「小幡位田」とみえる。永正一六年(一五一九)二月七日の伊勢道者売券(輯古帖)にみえる「いての里」は当地のことか。

位田村
いでんむら

[現在地名]綾部市位田町

由良川北岸にあり、山麓に集落が帯状に連なる。東は幾見きみ郷のさと村、西は栗村くりむら郷の栗上くりかみ村。南は由良川が崖下に迫っているため耕地は乏しい。対岸の綾部郷井倉いのくら村とは渡船で連絡する。

寛正二年(一四六一)の何鹿郡所領注文(安国寺文書)に「上位田・下位田」とある。古代はいずれの郷に属したか不明。慶安三年(一六五〇)の丹波国郡村仮名附帳(何鹿郡町村誌)にも「庄郷の訳相分り不申候」とある。

位田村
いでんむら

[現在地名]美作町位田

金屎かなくそ村の東、吉野よしの川右岸に立地し、倉敷往来が通る。南は安蘇あそ村、対岸東は下倉敷村。慶長一八年(一六一三)と推定される当村庄屋の助兵衛の先祖由緒(美作古簡集)によれば、父助兵衛は宇喜多氏に仕え位田に一〇〇石、新野にいの(現勝田郡勝北町)に七〇石の知行があり、同氏没落後も作分一一四石余をもち、地主化していた。正保郷帳に村名がみえ、田二四二石・畑一二九石。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高一三三石余・開高三六石余、村位は上。津山藩森氏断絶後は幕府領、寛延元年(一七四八)播磨三日月藩預、天明七年(一七八七)下総佐倉藩領、寛政六年(一七九四)播磨龍野藩預、天保七年(一八三六)石見浜田藩領(美作国郷村支配記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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