日本歴史地名大系 「住吉の瀬戸」の解説 住吉の瀬戸すみよしのせと 長崎県:下県郡美津島町住吉の瀬戸東浅海(ひがしあそう)にある瀬戸。紫(むらさき)ノ瀬戸ともいう。三浦(みうら)湾から芦(よし)ヶ浦に抜ける要所。永楽一八年(一四二〇)二月二〇日、朝鮮王朝の回礼使の宋希の一行は「愁美要時」に停泊、その夜、早田万戸三美多羅(左衛門太郎)が酒肴をもって来訪し、酒席が設けられた。そこで希は応永の外寇(一四一九年)をめぐって「去年、国家行兵の事、及び上意を開説」したところ、早田左衛門太郎は「これを聞きて感に勝へず、悦びて曰く、吾等、人を送らしめて、今に至るも来たらざる故、当時の守禦を解かず、今、官人の言を聞き、吾輩始めて、安んじて寝食し、又家舎、始めて今、造成すべし」などのやりとりがあった(老松堂日本行録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報