佐々並村
ささなみむら
[現在地名]旭村大字佐々並
現旭村の南半部を占め、山間部に位置する。南を吉敷郡の宮野庄・上宇野令(現山口市)、南西を美祢郡綾木・大田両村(現美東町)などに接する。西鳳翩山に発する佐々並川が南西から北東に貫流し、萩から明木宿を経て山口に至る御成道(萩街道)と村内で交差するが、その付近に宿駅が設けられ御茶屋(本陣)が置かれた。
古く「能因歌枕」の長門の項に「さゝなみの里」がみえるが、「注進案」も「長門名所雑記云、狭々浪ノ里、能因歌枕云長門国さゝなミの里、今案に椿木郷の内にあり、椿木郷は倭名鈔曰、阿武郡椿木都波木是也」と記している。
中世には、椿郷や椿八幡宮(現萩市)と関係が深く、建武元年(一三三四)の地頭源勝の下知状写(椿八幡宮御由緒旧記)に「椿郷内佐々並・長小野・高栖勾頭職」とみえる。また椿八幡宮御由緒旧記所引の文永元年(一二六四)地頭三善安忠署名の文書写によれば「長門国安武郡十八郷神頭役并郷中末社南山山王祇園神社、与牧神社、諏訪神社、正屋神社、明木神社、佐々波神社、各末社当職」を、古例に任せて椿八幡宮の永代相続となすと定めている。
村内にある六所神社の永正一四年(一五一七)の棟札の裏銘には「佐々並村六所権現宮御棟」とある。また、天正二〇年(一五九二)豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)に随行した石州津和野(現島根県鹿足郡津和野町)城主吉見広頼の長子元頼の家臣下瀬七兵衛頼直が、釜山までの行程を記した「朝鮮渡海日記」には、「十日ニ佐々並御着候、彼所刀禰木村源右衛門尉御振舞馳走之事」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の佐々並村の言及
【旭[村]】より
…山口県中部,阿武郡の村。1955年明木(あきらぎ)村と佐々並(ささなみ)村が合体,旭村となる。人口2322(1995)。…
※「佐々並村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 