旭村
あさひむら
[現在地名]新津市朝日
新津丘陵の西側、浸食された谷の入口にあたり、西は古津村、南は割町村。西部の丘陵地に鎮座する旦飯野神社を式内社に比定する説があり、古くから開発された地域と思われる。真言宗智山派に属する普談寺所蔵の文禄五年(一五九六)銘の鰐口には「朝日村普陀洛山普談寺 大工会津若松遠藤甚四郎」とあり、境内にある越後巡礼三〇番の観音堂は、棟札によれば同二年に新津丹波守勝資の帰依により建立されている。慶長三年(一五九八)頃の新発田藩の御領内高付帳(新発田市史資料)に朝日村二七九石一斗とある。新田開発も奨励され、藩主溝口秀勝が旭村小太に宛てた同一一年の開発免状(溝口家文書)には「田方荒地并かや野ニても、田ニ可罷成所者、来春成次第開作可仕候、他領之分少ニても作候ハヽ可為曲事候、荒地開候ハヽ三ケ年之間諸役可令免許者也」とある。
旭村
あさひむら
面積:五四・五四平方キロ
鹿島郡の北端に位置し、東は鹿島灘に臨む。村の中央を大谷川が北流して涸沼に注ぐ。北は東茨城郡大洗町、西は同郡茨城町、南は鉾田町に接する。全村がほぼ台地上にあり、台地の東側を国道五一号が通り、集落は国道沿いと大谷川の流域に点在する。産業は農業が中心で、耕作地の約八割は畑作地となり、麦類・野菜などを生産しているが、近年プリンスメロン・西瓜の栽培が急増している。ほかに牛蒡の出荷も多く、輸出用グラジオラスの球根の栽培も盛んである。村の北にある涸沼は水戸八景の一の「広浦の秋月」で知られ、汽水域にすむ魚の釣場として賑う。
旭村
あさひそん
面積:一三四・一六平方キロ
北を萩市、南を山口市、東を川上村と阿東町、西を美祢郡美東町に接する阿武郡西南端の村。四方を山に囲まれた山間にあり、北部を明木川、南部を佐々並川が流れ、ともに阿武川に注ぐ。これらの河川がつくる谷底平野や山腹の緩斜面に集落が散在する。村のやや東寄りを萩から山口へ至る国道二六二号が通る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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