日本歴史地名大系 「椿八幡宮」の解説 椿八幡宮つばきはちまんぐう 山口県:萩市椿西分椿八幡宮[現在地名]萩市大字椿 濁淵茶臼(ちやうす)山(三五四メートル)の北東麓の小高い所に鎮座。祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后で宇治皇子・難波皇子・玉依姫・高良大明神・住吉大明神を配祀。旧県社。社伝によれば仁治四年(一二四三)、「山口県風土誌」では文治四年(一一八八)長門守護佐々木高綱が鎌倉の鶴岡(つるがおか)八幡宮を川上(かわかみ)村立野(たちの)(現阿武郡)に勧請、のち椿郷木部(きべ)に移し、さらに正和三年(一三一四)地頭三善康久が現在地に移したとする。 椿八幡宮つばきはちまんぐう 福岡県:嘉穂郡穂波町椿村椿八幡宮[現在地名]穂波町椿穂波川左岸に鎮座する。祭神は品陀別命・武内宿禰命・息長足姫命・足仲彦天皇・埴安神・保食神。祭神は宇佐宮から勧請したと伝え(続風土記)、同宮領椿庄の鎮守であった。「宇佐大鏡」によると、保元二年(一一五七)若宮殿(椿八幡宮)は粥田経遠により神殿・神輿を焼払われ、「庄司本宮貫主大神兼助以下神人」を殺害されている。翌年朝廷は縁者の種平・季実らに造営を命じたが、協力を得られずに神事は断絶した。治承二年(一一七八)に至り宇佐宮は神殿造営のために、嘉麻(かま)・穂浪(ほなみ)両郡の宮吉(みやよし)名田を不輸神領とすることを認められている(宇佐大鏡・続左丞抄)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報