佐々木秀一(読み)ササキ ヒデイチ

20世紀日本人名事典 「佐々木秀一」の解説

佐々木 秀一
ササキ ヒデイチ

昭和・平成期の実業家 佐々木硝子会長;元・東京商工会議所副会頭。



生年
大正2(1913)年9月17日

没年
平成8(1996)年12月19日

出生地
東京・日本橋

学歴〔年〕
慶応義塾大学経済学部〔昭和12年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和43年〕,勲二等旭日重光章〔昭和59年〕

経歴
鬼怒川窯業社長を経て、昭和18年佐々木工芸硝子、22年佐々木硝子、33年佐々木クリスタル硝子の各社長に就任。この間、41年佐々木オーエンズ硝子社長、54年東京都商品融資代表取締役を兼任。57年に東京商業活動調整協議会会長として、有楽町の阪急、西武、オ・プランタンの3店の出店調整問題を巧みに処理したことで知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐々木秀一」の解説

佐々木秀一 ささき-ひでいち

1913-1996 昭和後期-平成時代の経営者
大正2年9月17日生まれ。昭和12年家業の佐々木硝子(ガラス)店にはいる。22年佐々木硝子に改組し,社長。32年日本初の1日に10万個生産可能なガラス食器の自動製造機を導入し,同社をトップメーカーに発展させた。58年会長。東京商工会議所副会頭もつとめた。平成8年12月19日死去。83歳。東京出身。慶大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の佐々木秀一の言及

【教育学】より

…さらに1930年代に入り,阿部重孝,城戸幡太郎らの編集になる岩波講座《教育科学》(1931‐33)が刊行され,観念的教育学を批判し,教育の事実を実証的に把握し解明する方針がとられた。阿部,城戸に佐々木秀一,篠原助市が加わった4人を編者とする《教育学辞典》(1936,岩波書店)は,社会の革新が教育を度外視して画策できぬ現代,教育についての知識は教師だけでなく,国民一般の教養であるとの考えに立って編集されており,戦前の教育学の到達点を示している。 このように第2次大戦前にも教育学建設へのさまざまな努力があった。…

※「佐々木秀一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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