出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都千代田区南東端、JR有楽町駅周辺の地区。江戸初期、千利休(せんのりきゅう)の高弟織田長益(おだながます)(号有楽(うらく)、織田信長の弟)の屋敷地があり、1872年(明治5)それにちなんで町名がつけられた。なお、屋敷内の数寄屋(すきや)造の茶室が、外堀に架けられた数寄屋橋の名のもととなった。劇場、映画館、デパートなどがあり、都心の繁華街の一つとなっている。銀座に接する駅の東側は、新幹線開通を機として再開発が進み、東京交通会館が建設された(1965)。さらに、古くなった日本劇場、朝日新聞社(築地(つきじ)へ移転)も壊され、デパート・映画館などが入る有楽町センタービル(マリオン)へ衣替えした(1984)。日比谷(ひびや)に接する駅の西側は、オフィス・ビル、劇場などが建ち並び、旧日比谷映画劇場・有楽座の跡地はファッションとグルメの商業ビル(日比谷シャンテ)に建て替えられた(1987)。また2000年代に行われた駅前の再開発により、複合商業施設(有楽町イトシア)が建設された(2007)。JRのほか東京地下鉄丸ノ内・有楽町・日比谷・千代田の各線、都営地下鉄三田(みた)線が通り交通の便がよい。
[沢田 清]
東京都千代田区南部の地名。JR有楽町駅付近一帯にあたり,1,2丁目からなる。北は丸の内,東は銀座に接し,都心繁華街の一つである。地名は,慶長年間(1596-1615)ごろ,ここに織田有楽斎(うらくさい)の屋敷があったことに由来する。かつては銀座との間に,外堀に架けられた数寄屋橋があったが,堀は1958年に埋められて首都高速道路が通り,その下には商店街(西銀座デパート,数寄屋橋ショッピング・センター)が形成されている。昭和に入ってから,日劇や東宝劇場などの劇場や映画館,飲食店が集中して娯楽街となった。現在,日比谷通りをはさんで皇居に面する側は会社などのビルが林立するオフィス街をなす。また有楽町駅東側の朝日新聞社および日劇跡地には西武百貨店,阪急百貨店が進出し,再開発が進んでいる。JR線や地下鉄有楽町線,日比谷線が通じる。
執筆者:中俣 均
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加