佐久山城跡(読み)さくやまじようあと

日本歴史地名大系 「佐久山城跡」の解説

佐久山城跡
さくやまじようあと

[現在地名]大田原市佐久山

佐久山城と称されるものには、御殿山ごてんやま城と御古屋敷おふるやしき館がある。御殿山城は佐久山集落を見下ろす丘陵北端に位置し、標高二一三メートル、山麓からの比高約三〇メートル。本丸跡は東西約六〇メートル・南北約五〇メートルで、西側・南側に土塁の一部が残る。文治三年(一一八七)那須次郎泰隆が佐久山に分封され、以後佐久山氏を名乗った。築城の時期もこの頃と伝えられ、佐久山氏の居城となったという。しかし永禄六年(一五六三)佐久山氏は同族福原資孝に攻められて滅亡し、当城も廃城となった。なお関東八州諸城覚書(毛利家文書)には「柵久の城」とみえ、大田原城、烏山からすやま城、千本せんぼん(現芳賀郡茂木町)と合せ一千五〇〇騎、奈須隆祐(那須高資)の支配下にあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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