佐久間纉(読み)さくま・つづき

朝日日本歴史人物事典 「佐久間纉」の解説

佐久間纉

没年:明治29.9.27(1896)
生年:文政2.12.15(1820.1.30)
幕末明治期の和算家。通称二郎太郎,庸軒と号す。和算を渡辺一に学ぶ。最上流を極め,万延1(1860)年三春藩(福島県)藩士となる。最上流は最上の流派であり,開祖会田安明の出身地最上地方とをかけ名付けられた和算の流派。明治9(1876)年庸軒義塾(あるいは庸軒塾)を開き門弟を育てた。『当用算法』(1853),『算法起源集』全13巻(1877)のほかの『算法道歌術』『和算独学』など多くの著作がある。多能で詩歌,俳句および剣道を善くした。子孫一族数学を研究する人物が多く出た。

(道脇義正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐久間纉」の解説

佐久間纉 さくま-つづき

1820*-1896 江戸後期-明治時代数学者
文政2年12月15日生まれ。渡辺一(かず)に和算を,福田理軒洋算をまなぶ。陸奥(むつ)三春藩(福島県)教授役となり,維新後は自宅で塾をひらいた。明治29年9月27日死去。78歳。陸奥田村郡(福島県)出身。通称は二郎太郎。号は庸軒。著作に「当用算法」「算法起源集」など。

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