佐伯部(読み)さえきべ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐伯部」の意味・わかりやすい解説

佐伯部
さえきべ

蝦夷 (えぞ) などの異民族をもって編成した部。「さえき」は「さえる (抗拒する) 」意で中央に従わない民に与えられた名称であろうといわれている。『日本書紀』によれば,日本武尊に捕えられた蝦夷が伊勢神宮,さらに朝廷に献上されたが,乱暴がやまず,ついに中国地方に移され,播磨安芸讃岐阿波伊予の佐伯部の祖となったという。しかし,実際には,その地方の先住民を佐伯部として編成したものもあり,勇敢な民を佐伯部として,日本武尊伝説に付会したものであろうといわれている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の佐伯部の言及

【佐伯氏】より

…中央の佐伯氏(佐伯連)は,所伝では大伴氏と同祖で,5世紀後半の雄略朝ころの大連大伴室屋(むろや)の後裔とされ,684年(天武13)には宿禰姓を賜った。元来佐伯氏は,内国に移配された蝦夷で宮廷警衛の任にあたる佐伯部を管理する氏であったとみられ,中央では佐伯連が,地方では諸国の国造の一族である佐伯直(あたえ)がこれを管理した。《延喜式》等によれば,中央の佐伯氏は大伴氏とともに門部(かどべ)をひきい,大嘗祭や元日,即位などの大儀にさいし諸門の開閉・警衛に奉仕した。…

【俘囚】より

…この〈内なる蝦夷〉としての俘囚の問題は,蝦夷経営問題の最終形態を示していたことになる。最も古く,捕虜になった蝦夷は朝廷に送られ,佐伯部という大和朝廷武力集団に組織されたという伝えがある。律令時代には朝廷の権威を誇示するために朝儀に参列せしめる記事があり,また貴族に分け与えて隷属させたこともあった。…

【部民】より

…その上部に官人の統率者としての臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)という階層,その下に実務を担当する百八十部(ももあまりやそのとも),そして各職務に応じ生産・貢納に従う品部(しなべ∥しなじなのとも)という,上下の統属関係にもとづくピラミッド型の官司制を成立させたと考えられる。 まず伴として,畿内の中小豪族を任ずる殿部(とのもり)(天皇の乗輿,宮殿の調度,灯火をつかさどる),水部(もいとり)(供御の清水や氷をつかさどる),掃部(かにもり)(殿内の掃除をつかさどる),門部(かどもり∥かどべ)(宮殿の諸門の守衛をつかさどる),蔵部(くらひと)(内蔵,大蔵の出納をつかさどる),物部(もののべ)・佐伯部(さえきべ)(軍事・警察,刑罰をつかさどる)などがあった。部として,畿内やその周辺に居住する帰化氏族,その他を任ずる錦織部(にしこり∥にしごりべ)(絹織物の生産に従う),衣縫部(きぬぬい∥きぬぬいべ)(衣服の縫製に従う),鍛冶部(かぬち∥かぬちべ)(鉄と兵器の生産に従う),陶作部(すえつくり∥すえつくりべ)(陶器の製作に従う),鞍作部(くらつくり∥くらつくりべ)(馬具の製作に従う),馬飼部(うまかい∥うまかいべ)(馬の飼育に従う)などがあった。…

※「佐伯部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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