佐屋廃川(読み)さやはいせん

日本歴史地名大系 「佐屋廃川」の解説

佐屋廃川
さやはいせん

木曾川本流を拾町野じつちようの(現中島郡祖父江町)で分れ、海部郡西部の津島・佐屋を経てまえ(現弥富町)で再び木曾川本流と合流する。「尾張名所図会」に「凡そ六十里の長流にて、川幅甚広く、水のおびたゞしき事測りがたく(中略)常に大小の船往来絶ゆる事なく、縉紳の高貴及び西国の諸侯方も、皆此川を通行」したとある。

寛永一一年(一六三四)佐屋路が東海道の重要支道と公認され、同時に佐屋宿が創設されて船番所・佐屋湊が置かれ、桑名くわな(現三重県)への「三里の渡」の起点となった。当時は主要河川であったが、木曾川上流から押流される川砂が堆積し、幕末期には満水時以外の舟運も不自由となり、瀬浚えによって辛うじて三里の渡の大役を果した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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