佐屋宿(読み)さやじゆく

日本歴史地名大系 「佐屋宿」の解説

佐屋宿
さやじゆく

[現在地名]佐屋町佐屋

佐屋が宿場として公許されたのは寛永一一年(一六三四)である。公儀向の場合は、佐屋村を主軸に隣村依田えだ村・須賀すか村とを併せたものであったが、この三村尾張藩の行政面では、それぞれ独立した村であった。佐屋路が公認されると同時に、桑名くわな宿(現三重県)への「三里の渡」の起点であるため、本陣脇本陣・旅客用の旅籠が設けられ、増水による川止めなどの場合は、旅籠不足のため民家に泊まることまで認められた。江戸より九四里三五町七間の佐屋宿は佐屋路のなかでも最も大きく、天保一四年(一八四三)の佐屋路宿村大概帳(逓信博物館蔵)によれば、本陣二軒(一八〇坪・一二二坪)・脇本陣二軒(一〇七坪・一一二坪)、旅籠三一軒(大三軒・中一三軒・小一五軒)、宿内人口一千二六〇人(男六一一・女六四九)であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報