20世紀日本人名事典 「佐山サダ」の解説 佐山 サダサヤマ サダ 大正・昭和期の教育者 佐野裁縫女学校長。 生年明治26(1893)年3月23日 没年昭和49(1974)年5月15日 出生地栃木県安蘇郡植野村(現・佐野市) 旧姓(旧名)栗原 学歴〔年〕渡辺裁縫女学校卒 経歴小学校教師であった佐山左右治と結婚。のち単身上京して渡辺裁縫女学校に入学し、卒業後は公立学校で教鞭を執った。大正11年に帰郷栃木県植野村に帰り、女子の経済的自立を助けるため、裁縫や実用的な知識・技能を教授する佐野裁縫女学校(現座の佐野清澄高校)を創立し、校長に就任。昭和6年には校長の職を夫に譲り、自らは一教員として学校の発展に力を尽くした。30年に脳溢血で倒れ、晩年は長い闘病生活を送った。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐山サダ」の解説 佐山サダ さやま-サダ 1893-1974 大正-昭和時代の教育者。明治26年3月23日生まれ。佐山左右治と結婚後,東京裁縫女学校(現東京家政大)にまなび,大正11年郷里の栃木県植野村(佐野市)に佐野裁縫女学校を創立。昭和6年夫に校長職をゆずり,以後,教員としてつとめた。同校はのち弥生女学院高をへて佐野清澄高となる。昭和49年5月15日死去。81歳。旧姓は栗原。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by