朝日日本歴史人物事典 「佐竹貞義」の解説
佐竹貞義
生年:弘安10(1287)
鎌倉・南北朝時代の武将。常陸国(茨城県)守護。行義の子。通称次郎,上総介に任ず。足利・二階堂氏らに接近しつつ佐竹氏再起の基礎固めに力を注ぐ。元弘1(1331)年鎌倉幕府軍の一員として後醍醐天皇の拠る笠置寺攻撃に参加するが,幕府倒壊後は足利尊氏・直義に従い各地を転戦して戦果を上げ,常陸奥7郡に多くの所領を回復し常陸守護にも任ぜられる。19歳で出家,興禅寺,浄光寺などを建てた仏教心の厚い文化人でもあるが,子(月山中枢)を足利尊氏に近い夢窓疎石の弟子として尊氏と友好の絆を深めるなど,人脈を活用しての巧みな政治手腕の持ち主でもあった。
(市村高男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報