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伏見天皇 ふしみてんのう

百科事典マイペディアの解説

伏見天皇【ふしみてんのう】

在位1287年−1298年。持明院(じみょういん)殿と称された。後深草(ごふかくさ)天皇の皇子。1290年までは父の院政であったが,その後は親政をしき,院評定衆(いんのひょうじょうしゅう)の代わりに宮中に議定衆(ぎじょうしゅう)をおくなど公家政治振興に努めた。
→関連項目後宇多天皇後伏見天皇

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伏見天皇 ふしみてんのう

1265-1317 鎌倉時代,第92代天皇。在位1287-98。
文永2年4月23日生まれ。後深草天皇の第2皇子。母は藤原愔子(いんし)(玄輝門院)。大覚寺統の後宇多天皇からゆずられ即位。持明院統。正応(しょうおう)5年十三ヵ条の新制を制定し,政治の刷新をすすめるが,大覚寺・持明院両統の対立は激化する。子の後伏見天皇に譲位して後伏見・花園天皇の代に院政をしく。和歌,書にすぐれ,「玉葉和歌集」を撰進させた。文保(ぶんぽ)元年9月3日死去。53歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は煕仁(ひろひと)。法名は素融。別名に持明院殿。歌集に「伏見院御集」,日記に「伏見院御記」。
【格言など】更(ふ)けぬるか過ぎ行く宿もしづまりて月の夜道にあふ人もなし(「玉葉和歌集」)

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世界大百科事典 第2版の解説

ふしみてんのう【伏見天皇】

1265‐1317(文永2‐文保1)
第92代に数えられる天皇。在位1287‐98年。89代後深草天皇の第2皇子。母は洞院実雄の娘玄輝門院愔子。諱(いみな)は熙仁,持明院殿と称された。1287年(弘安10)10月践祚,翌年3月即位すると親政をしき,鎌倉末期の公家政治振興に努めた。院評定衆の代りに宮中に議定衆をおき,記録所に庭中訴訟を聞くなど,当時としては政治を刷新するものであった。このころ皇統が持明院・大覚寺両統に分かれ,皇位継承問題から激しい政争があった中で,伏見天皇は持明院統の地位を確立した。

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大辞林 第三版の解説

ふしみてんのう【伏見天皇】

1265~1317) 第九二代天皇(在位1287~1298)。名は熙仁ひろひと。持明院統の後深草天皇の第二皇子。大覚寺統の後宇多天皇の譲位を受け、両統交互に皇位につく例をつくった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伏見天皇
ふしみてんのう

[生]文永2(1265).4.23. 京都
[没]文保1(1317).9.3. 京都
第 92代の天皇 (在位 1287~98) 。持明院統の祖,後深草天皇の第2皇子。母は玄輝門院藤原よし子。名は煕仁 (ひろひと) 。建治1 (75) 年大覚寺統の後宇多天皇の皇太子となり,弘安 10 (87) 年践祚。いわゆる両統迭立の事象はこの時代から生じた。和歌,書にすぐれ,『玉葉和歌集』を撰進させた。また能書家の名声が高く,鎌倉時代後期を代表する書家の一人。西本願寺の歌集残簡 (広沢切) が伝来する。日記『伏見院御記』がある。陵墓は京都市伏見区の深草北陵。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伏見天皇
ふしみてんのう
(1265―1317)

鎌倉時代後期の天皇(在位1287~98)。名は煕仁(ひろひと)。持明(じみょう)院統の後深草(ごふかくさ)天皇の第2皇子。母は玄輝門院(げんきもんいんいんし)。1275年(建治1)大覚寺(だいかくじ)統の後宇多(ごうだ)天皇の皇太子となり、87年(弘安10)即位。両統が交互に皇位につく例を開いた(両統迭立)。90年(正応3)までは後深草上皇の院政で、以後親政を行った。譲位後、後伏見・花園(はなぞの)両朝の院政を1313年(正和2)までとった。和歌と書にも優れ、京極為兼(きょうごくためかね)に『玉葉(ぎょくよう)和歌集』を撰修(せんしゅう)させた。日記『伏見院御記』があり、一部現存する。文保(ぶんぽう)元年9月3日没。御陵は京都市伏見区深草北陵。[佐々木久彦]
『岩佐美代子著『あめつちの心――伏見院御歌評釈』(1979・笠間書院)』

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367日誕生日大事典の解説

伏見天皇 (ふしみてんのう)

生年月日:1265年4月23日
鎌倉時代後期の第92代の天皇
1317年没

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世界大百科事典内の伏見天皇の言及

【玉葉和歌集】より

…〈二十一代集〉中第14番目の勅撰和歌集。20巻。伏見院の院宣により1312年(正和1)に京極為兼が撰進。《玉葉集》と略称。後の《風雅和歌集》とともに,京極派の歌風を中心とする勅撰集として,《新古今集》以降の勅撰集のなかで異彩を放っている。当時の歌壇における二条・京極・冷泉3家の対立を背景に,本集の成立には複雑な経緯があり,伏見院ははじめ在位中の1293年(永仁1)に勅撰集の撰定を二条為世,京極為兼,飛鳥井雅有,六条隆博に諮問した(雅有は不参)が,撰定方針等をめぐり為世と為兼の間に対立を生じ,おりからの為兼の配流,隆博・雅有の物故もあり,この企図は中絶した。…

【書】より

…これらには後鳥羽天皇を中心とする《新古今集》の宮廷歌人の筆跡がまとまって伝存し,法性寺流を基調としながらも個性的な筆勢が明らかである。名筆として知られた伏見天皇(1265‐1317)は平安時代の書に習熟し,復古的な流麗さをもって著名で,その皇子尊円親王は世尊寺流に宋風を加味した尊円流を創めた。青蓮院(しようれんいん)流とも呼び,後世の御家流(おいえりゆう)の基礎となった。…

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