佐竹音次郎(読み)サタケ オトジロウ

20世紀日本人名事典 「佐竹音次郎」の解説

佐竹 音次郎
サタケ オトジロウ

明治〜昭和期の教育者 鎌倉小児保育園長。



生年
元治1年5月10日(1864年)

没年
昭和15(1940)年8月16日

出生地
土佐国幡多郡下田村(高知県)

学歴〔年〕
医学専門学校済生学舎〔明治26年〕卒

経歴
貧農の家に生まれ、間引きされるところを助けられたという。明治19年に上京し軍人を志すが果たせず、教員となり小学校校長などを経て医学専門学校済生学舎に学ぶ。卒業後の27年鎌倉越腰に医院を開業、29年には院内に孤児保育園を開いた。38年鎌倉メソジスト教会の牧師山鹿旗之進から洗礼を受け、38年には医院を廃業して小児保育に専念、39年孤児保育園を鎌倉小児保育園に改称した。また小児のみならず未婚の母をも収容し母子一体の保育事業も展開。その後、保育園の支部を旅順・ソウル台北などに設立。著書に「日誌佐竹音次郎」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「佐竹音次郎」の解説

佐竹音次郎

没年:昭和15.8.16(1940)
生年:元治1.5.10(1864.6.13)
明治期の教育者で,鎌倉小児保育園創設者。土佐国(高知県)幡多郡下田村に農民の子として生まれ,間引きされるところだったが助かる。明治19(1886)年軍人になろうと上京するが果たせず,小学校校長などをしたのち,同26年医学専門学校済生学舎を卒業。翌年鎌倉腰越に医院開業,同29年医院内に孤児保育園を開設する。同39年鎌倉小児保育園と改称,この間,同35年に鎌倉メソジスト教会で山鹿旗之進から受洗。同38年には医業を廃して保育事業に専念。旅順,ソウル,台北などに支部を設けた。未婚の母なども引き取り,母子一体の保護を行ったことで知られる。『日誌佐竹音次郎』がある。

(篠崎恭久)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐竹音次郎」の解説

佐竹音次郎 さたけ-おとじろう

1864-1940 明治-昭和時代前期の社会事業家。
元治(げんじ)元年5月10日生まれ。明治27年神奈川県腰越(こしごえ)村(鎌倉市)に医院を開業し,29年小児保育園を併設。38年医院をやめ,鎌倉小児保育園を設立し保育事業に専念した。昭和15年8月16日死去。77歳。土佐(高知県)出身。済生学舎卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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