佐藤一斎墓(読み)さとういっさいのはか

国指定史跡ガイド 「佐藤一斎墓」の解説

さとういっさいのはか【佐藤一斎墓】


東京都港区六本木の深広寺(しんこうじ)にある江戸時代後期の儒者・佐藤一斎の墓。墓は3重の台石上に頭部櫛形の棹石を立て、正面に「惟一先生佐藤府君之墓」と刻し、両側裏面にわたって若山極撰、市河三鼎(さんてい)の書にかかる碑文が彫られており、1949年(昭和24)に国の史跡に指定された。一斎は1772年(安永1)、江戸・浜町の美濃国岩村藩邸で生まれ、はじめは岩村藩に仕え、のち林家の塾頭となり、幕府儒官となる。その見識は朱子学から陽明学にまでおよび、「陽朱陰王」と呼ばれた。門下生は大名以下3000人といわれ、佐久間象山、渡辺崋山らの逸材を輩出し、著書『言志四録』は吉田松陰や西郷隆盛に大きな影響を与えたといわれている。1859年(安政6)、88歳で死去。東京メトロ日比谷線ほか六本木駅から徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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