日本歴史地名大系 「佐藤一色村」の解説 佐藤一色村さとういつしきむら 静岡県:浜松市旧敷知郡・引佐郡地区佐藤一色村[現在地名]浜松市佐藤一―三丁目天神(てんじん)町の北、馬込(まごめ)川左岸に位置し、南端を東海道が通る。浜松庄のうち里郷の遺称地とも推測されているが不詳。単に佐藤村ともみえる。天正一九年(一五九一)一一月二〇日の四拾七村惣高辻書上(横山家文書)にみえる壱色は当地にあたると考えられ、高二〇五石余。松平忠頼領郷村帳では高二〇六石余、畑二〇町六反余。慶長一五年(一六一〇)の水野重仲知行割帳には「佐藤一色村」とみえる。領主の変遷は向宿(むこうじゆく)村と同じ。延宝(一六七三―八一)頃の青山氏領分絵図では本田一九八石余・新田一五石余。延宝五年の浜松町村家数高間尺帳では家数三五、うち役家三一。享保四年(一七一九)の国領組諸色覚帳(岡部家文書)では家数四二、うち本百姓三七、人数三四三、医師一、馬一五。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報