日本歴史地名大系 「一色村」の解説
一色村
いしきむら
南北に細長く、住民は初め乾地・下乾地に住み、南の
一色村
いしきむら
寛永一〇年(一六三三)相模小田原藩領、元禄一二年(一六九九)旗本大久保領(のちの相模荻野山中藩領)となり、宝永五年(一七〇八)幕府領に転じる。
一色村
いつしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いつしきむら
北東に
近世は初め幕府直轄領、寛永一〇年(一六三三)幕府直轄領と旗本田沢・成瀬・鎌田領の四給、享保二年(一七一七)幕府直轄領と旗本田沢・成瀬・大久保・深谷領の五給。大磯宿の大助郷を勤め、元禄七年(一六九四)の助郷高七四〇石(「大磯宿助郷村高覚」県史九)。
一色村
いつしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いしきむら
一色村
いつしきむら
- 三重県:久居市
- 一色村
一色村
いつしきむら
一色村
いしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いつしきむら
中野町村の北、天竜川右岸の堤防沿いに位置。豊田郡に属する。東海道の天竜川の渡船が中野町村と
一色村
いしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いしきむら
現鼎町の南西部、
天正七年(一五七九)の上諏訪造宮帳の「山洞南方之郷」に含まれていたものと推定されるが、天正一九年の信州伊奈青表紙之縄帳(佐々木忠綱氏蔵)に、「一 中百五拾九石八斗九升六合 一色」とあるのが文献上の初見である。
一色村
いしきむら
八幡宮がある。「作陽誌」によれば後鳥羽上皇の皇子が当地で没したため、家臣の若田将監・林兵庫が皇子の霊を祀ったのが始まりといい、江戸時代は当村の氏神で、
一色村
いつしきむら
一色村
いしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いつしきむら
一色村
いしきむら
- 岐阜県:羽島市
- 一色村
一色村
いつしきむら
一色村
いつしきむら
- 愛知県:一宮市
- 一色村
一色村
いつしきむら
一色村
いしきむら
- 愛知県:一宮市
- 一色村
北は
一色村
いつしきむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報