佐藤正(読み)サトウ マサシ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「佐藤正」の解説

佐藤 正
サトウ マサシ


肩書
衆院議員(立憲民政党)

生年月日
明治17年9月

出身地
東京

学歴
早稲田大学文学部哲学科〔明治42年〕卒

経歴
鉄道院総裁官房嘱託を経て、東北帝国大学・宮城県立工業学校講師となる。のち教育新聞社社長、日本社会教育協会専務理事、海外教育協会理事、日本特殊繊維・ボルネオ殖産の各社長を歴任する。昭和3年東京府6区から衆院議員に初当選。以来4回当選。その間岡田内閣の拓務参与官として南洋方面視察のため派遣される。著書に「日本民族性格概論」「近世社会運動」がある。

没年月日
昭和26年1月12日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「佐藤正」の解説

佐藤正

没年:大正9.4.27(1920)
生年嘉永2.6.1(1849.7.20)
明治期の陸軍軍人。広島藩士佐藤源右衛門の4男。明治5(1872)年東京鎮台歩兵第9番大隊付,陸軍少尉。9年大尉に進み萩の乱の鎮圧出動。第24連隊長の際,行軍中に福岡中学の生徒が同連隊に対して投石する事件が起こり,軍旗不敬として同校長,県知事に談判し,謝罪させた。27年日清戦争では連隊長として元山支隊を率い平壌攻撃戦に活躍。訓練の厳しさと統率力で知られ,28年日清戦争で左脚膝部の銃創(1カ月後切断)を負いながら陣頭指揮した。28年少将に進み戦功により功四級金鵄勲章を,29年皇后から義足恩賜を受けた。<参考文献>佐藤清勝『佐藤正伝』

(影山好一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤正」の解説

佐藤正 さとう-ただし

1849-1920 明治時代の軍人。
嘉永(かえい)2年6月1日生まれ。西南戦争参加。明治28年日清(にっしん)戦争に歩兵第十八連隊長として出征し負傷して退役。陸軍少将。29年広島市長。のち宮中顧問官,東亜同文会幹事長,愛国婦人会事務総長などをつとめた。大正9年4月27日死去。72歳。安芸(あき)(広島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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