20世紀日本人名事典 「佐藤行哉」の解説
佐藤 行哉
サトウ ギョウサイ
大正・昭和期の郷土史家 長沼尋常小学校長。
- 生年
- 明治15(1882)年6月23日
- 没年
- 昭和42(1967)年1月20日
- 出生地
- 栃木県大内村(現・真岡市)
- 本名
- 佐藤 忠治
- 学歴〔年〕
- 栃木師範学校卒
- 主な受賞名〔年〕
- 栃木県文化功労者表彰〔昭和29年〕,勲五等双光旭日章〔昭和40年〕
- 経歴
- 教師となり、栃木県の大西尋常小学校や長沼尋常小学校などの校長を歴任。この間に足利の考古学者丸山瓦全の導きで郷土史・考古学に興味を持ち、大正5年に教職を退いた後は研究に没頭。中でも現在の真岡市にある鶏塚古墳の調査で知られ、子を背負う母親や鶏の埴輪などを発見した。また、県内各地を跋渉して文化財調査や史料収集を行い、昭和11年には労作「芳賀郡南部郷土誌」を刊行した。29年栃木県文化功労者として表彰され、さらに40年には勲五等双光旭日章を受章。晩年は幕末期の学者河野守弘が著した「下野国誌」の翻刻に心血を注いだ。著書は他に「下野の板碑」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報