佐賀浦(読み)さがうら

日本歴史地名大系 「佐賀浦」の解説

佐賀浦
さがうら

[現在地名]佐賀町佐賀

江戸時代、佐賀村のうちの浦分をいった。「土佐州郡志」は「佐賀浦南向 有港、其末東向、可容船五艘許、潮去ルトキハ則不能船スルコト、有上口・下口・松之下等所、皆港口名、戸凡百三十船十六、有町区、東西三町許南北四十間許、浦人住之、砂浜 港口 東其長一町許」と記す。港の入口には鹿島・いつく島の二島が相対し、景勝地として知られ、鹿島かしまヶ浦ともいわれる。

佐賀浦で江戸時代以前にどの程度漁業や廻船業が発達していたか明らかでないが、天正年間(一五七三―九二)には佐賀明神浜みようじんはま奥野々おくのの村に水主や舟番匠の居住が認められ(天正一八年佐賀村地検帳)、慶長初期の史料でも引続いての居住が確かめられる(慶長二年佐賀村地検帳)。この頃にはすず浦などとともに浦方として把握され、浦刀禰も置かれている(慶長二年「秦氏政事記」蠧簡集)。「西浦廻見日記」が「佐賀浦分一役所の近隣会所畠といふ所有、中村三万石御分地なりし時ハ、御城下の役人こゝの浦に官舎を立て幡多郡の支配せしを、中村御家亡びて官舎をかしこに移せし也とぞ」と記すように、江戸時代初めには中村藩三万石のうちであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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